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トルコの旅―金の星と銀の月のしたで3
今夜も月だった。
イスタンブールでは三日月だったが、ユルギュップの町ではずいぶん丸みを帯びてきた。
ホテルにはドイツ人ばかりか、いつのまにか日本人が大勢占拠していた。
ホテルのプールサイドでは結婚式の真っ最中だった。
町の郊外の丘の中腹に建つこのホテルは近代的で、観光客用に整備されている。
ここで結婚式をあげる彼彼女たちは、中産階級より高い層だろう。
私は例によって―ブドウに魔法をかけた水―をたらふく飲みすぎて、ほろ酔い気分で夜風にあたるのをかねて、祝宴の輪から少し離れた席でその様子を眺めていた。
夕食を相席したおじさんは、酔いも手伝いわけのわからないことを叫びながら堂々と輪の中へ飛び込んでいってしまった。
私は苦虫をつぶしながらただ眺めていた。
つつがなく進行していた結婚式は、同胞の飛び入りで一事中断された格好だ。
トルコのホテルはフランスと同じく「OTEL」と標記されていることを目ざとくみつけ、
「ホテルなのに、な~んでH(エッチ)がないんでしょうかねぇ~」
と日本の女性たちにニタニタわけありげに尋ねまわっていたのがこのおじさんだ。
旅の恥はかき捨て、の行為に心が痛む。
痛まないの、おじさん?
進行役の男は機転が利くようで、マイクを持つ手をわなわなと振るわせるわけでもなく、
「みなさん、今晩は実にめでたい。ヤバン(日本)から素敵な客人が駆けつけて来てくれました」
そんな感じでスピーチしていた。
唯一聞き取れた「ヤバン」は「野蛮」かと、少しドキリとさせられたけど。
それにつけても、司会の男はどこかで見たことがあると思いを巡らしてみて、ようやく思いだした。
それは、最近とみにテレビでお見かけする機会が多くなった、トルコ隣国の英雄にして大問題児、ひとによっては悪魔とも罵られるフセイン大統領、そのひとの顔であった。
司会男は日本の問題児(ただのおじさん)を適当に笑みをもってあしらいながら、宴の進行に戻り、哀れな酔っ払いの行き場はなくなった。
「あー、そうだ」と膝を打つように自分に言い聞かせてホテルへ消えて行った。
再び、プールサイドの小宴は何事もなかったかのように進んでいった。
先ほどから、フセイン氏がペラペラとなにごとか喋っては、拍手喝采という繰り返しがしばらくつづいた。主役のご両人は笑みをたやすことなく立ちっぱなしで聞き入っていた。
新郎がこれまたフセイン氏そっくりで、トルコじゅうのひとがフセイン氏似なのか、フセイン氏がトルコのひとびとと似ているのか、こんがらがってきた。
新郎は真っ白なタキシードで、目も口も大きな新婦はピンクのあでやかなドレス。
見ているほうが、恥ずかしくなってくる。
「あっ!」そのとき、思わず声がでた。
よせばいいのに、おじさんが戻ってきたのだ。
「これこれ、これを渡したかったんだ」何か手にかざして、まっしぐらに新郎新婦のもとへ駆けて行った。
司会のおじさんは、これ以上のないクシャクシャにした笑顔でマイクを握った。
私には言葉がわからないが、「意味」ははっきりわかった。
「みなさん、日本の親愛なる友人からただいま素敵なプレゼントをいただきました。この友人にアラーのご加護を」
おじさんが手渡したのは、浮世絵が描かれた扇子だった。
たった今の今までただの酔っ払いだったおじさんのほうが、斜交いに見守っていた私より、数段やさしい慈愛に満ち、洒落ていたのだ。
おじさんは自己の責任を果たしたという満足感で一杯のようで、今度は本当に両手を振り去っていった。
おじさんは千葉で造園業と花屋を営んでいる。
帰国後、この祝宴の思い出いっぱいの写真を彼に郵送した。
何の音沙汰もなかったのだが、その年のクリスマスイブの日。
「私どもが大事に育てている薔薇です」と丁重な手紙が添えられた赤いバラの束が届けられた。
送り主は、あのおじさんだった―――。
―― ユルギュップの夜(月・星・砂・風)――
ユルギュップのホテルのプールサイド-―――。
私は扇子を嬉しそうにヒラヒラさせている新婦を見つめながら、おじさんにはかなわないと思い、
またひとを見抜く能力がまだまだ足りないことを恥じた。
どうやら、私もここらが潮時のようだった。
祝宴はまだまだつづくようだが、ホテルをでて、ユルギュップの町の夜風に触れてみよう。
トルコでは引き寄せられるように、夜空を見上げては月を仰ぎ見ていた。
ここ、カッパドキア地方の拠点であるユルギュップでも例外ではない。
幼少のころ、月を眺めることは、地球を眺めている気持ちでいた。
今、このユルギュップで月を見上げることは、ますます現実味を帯びてくる。
そのわけは、次に紹介する文章が的確に伝えてくれる。
「――カッパドキアの地図を掲げてみよう。このあたりは、かつてのエルジャッシュ山の大噴火によって、大がかりな火山形成がされているところである。
はじめてこの地を訪れる者にとっては、この景観は、にわかに形容しがたいだろう――。
――それは、まず何と言っても広大な世界である。そこここに樹木状の岩が林立していると思えば、赤茶色や桃色、白や褐色などの色彩で縞模様の地層を露出する台地が長く連なっていたり、原始時代の巨石文化を思わせるような珍岩奇岩が土筆のように生え出ていたりする。
空と地との境目が際立ち、遠景は、そこが地の果てのような錯覚を起こさせる。
上空には風が舞い、地は内部に深い想いを秘めているように寡黙である―――。『トルコの旅』立田洋司著・六興出版――」
かように、切り立った岩やテーブル状の台地に囲まれた、明かりの乏しい町から月を見上げることは、ここが本当に地球なのかどうか疑わしい錯覚に囚われる。
ここは月ではないのか?
―私が帰るところはどこだろう?―
砂漠を、月を、彷徨うことはオアシスを探し求めることではない。
それは、一つの「泉」をココロの宗教にすることだ。
-月- 月は黄金の輝きで世界のすべてを
存在証明として写し撮りながら
西の彼方へ消えかけようとして
-星- かわって無数の何万光年もの遥か
から蛍のようにさまよう光が揺らぐ
月は狂気を 星は安らぎを与える
月と星は過去から永遠を語る
そして、此処はどこでもないことを
そっと教えてくれる
-岩- 尖った岩々は太古のおとどめの詩を
刻み かつ沈黙を語り
何も語らない 語ろうとしない
-砂- この世にありながらこの世のもの
とは思えない奇岩の群れは やがて
風化の完結の暁に さらさらと砂の
粒子になり 世界の果てへ運ばれる
-風- 「風」は「一瞬」を伝える
生あるもののはかなさを
そっと 忍びよるように肩に触れる
君も知るだろう
風はすべての幻想と幻滅を伝える
-雲- 風に乗って雲がちぎられ流れる
雲は記憶の古層
さまよう羊の群れのように
決して近づくことのない-意味-
を模索する
答えなどどこにもないのに
-人- 雲に誘われ 旅にでる
旅にでて -此処にいるーことを
思い巡らせる
思索は小さな円形の殻を破れずに
-世界の外-を意識すらできない
-時- やがて 私も君もあきらめる
あきらめても この道を進む
その-時- -風-がそよぐ
漆黒の夜空に-星-が輝く
西の空には赤い-月-が
記憶と忘却が融合しー時ーを刻む
-人-は語られ 何かに運ばれ
そして 異化される
そして こう渇望するだろう
何もかもが 沈黙することを
これは、ユルギュップのホテルの窓から夕日で奇岩が桃色に染まるのを見ながらメモ用紙に書き綴ったものを、夜の町の散策から帰ってから書き足したものだ。
夕方から夜にかけての狭間の心象風景は、美しくももの悲しい。
世にも奇妙な台地にいることで、過剰に自分に酔った部分もあるだろう。
―夕焼けーが美しいのではない。
夕焼けを美しいと―感じる―ことが美しいと思い込むことかもしれない。
ひとは夜語り、朝には昨夜を浅い夢に変えてしまう――。
あの晩、私は―めでたい夜―の余韻を引きずって散策していた。
小宴の賑わいからホテルを一歩出たとたん、火山灰が蓄積して厚い層を形成し、その凝灰岩層が長期にわたり浸食を受けた谷間―このカッパドキア―に―いる―ことに、意識が過剰になったのかもしれない。
意識が過剰になって生み出されたものは、夜の帳という屑篭へ投げ捨てたい気分になる。
―― ユルギュップの夜(酒・舞踏・陶酔)――
あの晩、めでたい夜は、まだまだ序の口であった。
ユルギュップはカッパドキアの要所(この要所とは、私たちにとっての観光拠点であると同時に、トルコの経済的、そして中部トルコにおける軍事的拠点をも意味する)であり、比較的大きな町だと聞いていたが、丘の中腹にあるホテルからダムサ川の橋を渡り市街地の中心にでても、うら寂しい町であった。
町を貫く主要幹線道路はカイセリの町へつづくカイセリ通りであったが、行き交うひと、車ともに皆無であった。
いつ、引き返そうかと気を揉みつつしばらく歩くと、ドーム状の大きな岩に道があたった。
通りは岩を這うように湾曲していた。
明かりのない、薄暗い道をそのドームの岩に沿って歩いた。
またしばらく進むと、岩をくり貫いた店らしきものがあった。
コカコーラの看板には、「ハーレム・ディスコ」と書かれている。
カッパドキアにはこのように奇岩を利用したレストランやホテルが多くある。
旅の話しの種にと、臆せず入ってみよう。
重い木の扉を押して入ると、先客はいないようで、カウンターにたむろしている店員たちに愛想よく迎えられた。
「ようこそ、ヤバニ。大歓迎だよ。さっそく写真を撮ってくれ」
―はぁ・・・・・・・?―
店に入るや否や客に写真撮影を催促されたのはあとにもさきにもはじめてだ。
やれやれ、と惜しそうにシャッターを切ったがどのみち撮るつもりではあったけど。
随分余談だが、日本のディスコによい想いではあまりない。いや、全然ない。
あの国では入り口からしていただけない。
ほら、店の外に立っているでしょう。黒い服を着たカラスが。
ひとを値踏みするような態度で「何名様ですか?」まず聞いてきますよね。
たとえば、男4人で飲んだ勢いで繰り出した雨の六本木。別に雨でなくても、六本木でなくてもいいんですけど。
「何名様ですか?」真顔。
「今日はこのあと300人くらいくるんじゃない?」もっと真顔。
結局入店できない。男だけでは、「ダメ!」なのである。逆に女はすべて彼らのもの?
さて、ここトルコはアナトリアの雛にも稀な(笑)、岩穴ディスコ。
店には洞窟をそのまま利用した自然の仕切りがあり、またカウンターやテーブルも凝灰岩をくり貫いてつくってある。
絨毯の壁掛けや、簡単な照明機器ぐらいで素朴ではあるが、アバンギャルドな最先端のディスコといえなくも、ない。
―意気揚揚―というポーズのみの私。最初の、もしかしたら今日最初で最後かもしれない客人である私は、一番奥のテーブルに案内された。VIP席ですか?ここ。
日本と同じくワンドリンクサービスがあるそうで、ビールを注文する。
慣れないことをしたもので、喉がカラカラで一気に飲み干し・・・・はせずチビチビ飲んで時間つぶしをした。
ほどなくして、さきほどフロアの男たちが入れ替わりやってきては、挨拶してきた。
そしてにこやかに名刺をさしだしてきた。まさにVIP扱い、そのもの。
そして異口同音に「俺を撮ってくれ」。
訪れた男たち、それぞれから渡された名刺はさもありなん、どれも同じ、全部店の名刺だ。
「写真を撮ってくれ」という証なのであった。
沈んだり、浮かれたり、私のオツムこそめでたいのかもしれない。
10時をまわったころ、ヨーロッパの団体客たちが大勢おしかけてきてにわかに店内は活気づいてきて、店員たちは私に見向きもしなくなった。
私が座っているテーブルだけ、なんか陰鬱な雰囲気だしていませんか?
店内でかかっている音楽は、さきほどまでは弦で奏でる神妙な民族音楽かと思いきや、次にはマドンナの曲と、バラエティに富んでいた。
というより、選曲がむちくちゃ、じゃないですか?
なぜか、ヨーロッパの客は老若男女、みな短パン姿だ。
そして、昼夜問わず、いつもその格好で街を闊歩する。
TPOとは彼ら彼女らが生んだ文化ではなかったのか?
ハメをはずす―というのはいずこも同じか?
そして、ヨーロッパ人はあたりかまわず輪を作り自分たちの世界を醸し出し踊る姿をよ見かける。
私は心になかで舌打ちし、楽しそうな輪にどさくさにまぎれて加わった(笑い)。
おめでたいのは、私そのものだった。
ハイパーディスコ全集がつづくと、トルコが本場の恍惚の宗教スーフィー教の音楽、つづいてヘビィメタルとなんでもありの踊り場は地元のひとたちも加わり入り乱れている。
日本人代表の私は息が続かず戦線離脱だ。
席に戻ると、さきほどまで誰もいなかった向かいのテーブルにひとがいた。
男女2組のペアは熱心に話しこんでいる。
話し込む、というのは的確性にかけ、男二人が熱心に一方的に語っている様子だ。
女の子たちはゲルマン系で、どうみても高校生くらいの年齢。
さて、男たちである。
どこをどう逆さにみてもトルコ人。
そして、どう差し引いても、おっさん、である。
ふーむ・・・・・・・・・・・。
これは、いわゆる、ひとつの、アレ、でしょうか?
ユルギュップのめでたい夜は、まだまだ終わらない―――。
つづく
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